▶侍従会はとんぼ池から始まった(10周年記念特別寄稿)
先日、ふるさと侍従川に親しむ会(略称 侍従会)の10周年記念のイベントにスタッフとして参加しました。午後の2時から始まって5時近くまで、侍従会への熱い思いが語られました。(侍従会10周年記念特別寄稿 2003年 11月16日 廣瀬隆夫)
この会は、自然を守りましょうというのでなく、自然を取り戻そうということを主眼においています。環境保護というと、野山にロープを張ってここに入る なとか、虫をとるな、とかうるさく言う人たちがいますが、この会の人たちはそのようなことは言いません。みんな、頭だけで考えているのでなく、実際に体験を通して自然を理解しているからです。この会の最終的な目的は、侍従川を昔のように子どもたちが遊べる川に戻そうということです。
エコロジーアップ、通称エコアップと言う運動が全国各地でに行われています。屋上に水槽を置いてしばらくすると、空中に浮遊する茎藻類の種が水に落ちて、そこに藻が生えてくる。それを食べに昆虫が飛んでくる。その虫を食べに鳥が来る。鳥の糞などで運ばれてカワニナ貝が増える。それを餌に蛍が集まる。と言うように、何をしなくても自然に水槽の中に小さな生態系が出来あがるのです。
侍従会は、このエコアップを10年間、大道で実践してきました。侍従会は、トンボ池という池作りから始まりました。私が子どもの頃は家が建っていましたが、大道小学校が出来る前は、このあたりは一面の田んぼだったらしいです。その田んぼを埋めて学校を作ったのです。昔は、運動会の時に雨が降ったりすると、埋め立てられた田んぼに住んでいたカエルの恨みだ、などと言う人もいました。また、学校の後ろに山を抱えており、その麓にある小さな井戸は、山から絞れる水が絶えないような場所でした。
かつては、物置小屋(石炭置き場) だったそうですが、そこに先生や生徒、住民が手弁当で協力して池を掘りました。素人が集まってかなりの難事業でしたが、生徒の親御さんが ユンボを貸してくれたりして小さな水たまりがみんなの力で自然の池になりました。山からカエルも産卵のために降りてきました。メ ダカも増えました。何年かするとそこにトンボが来ました。それからトンボ池と呼ばれるようになりました。今では、子どもたちがザリガニ釣りをやったり、トンボをとったり出来るようになりました。
このトンボ池で増えたメダカが大雨の時に流れ出したのか、侍従川でメダカが増えていると言うことを子どもたちがみつけました。そこで、侍従会は、フィール ドをトンボ池から侍従川に移しました。池という点から侍従川という線に活動の場が広がったのです。侍従川は、一時、本当に汚れてしまいました。ちょうど日本が高度成長に沸いていた1970年代です。川岸を歩くと悪臭 が漂っていました。県が定期的に川にシャベルカーを入れて川底のヘドロをさらっていましたが、しばらくするとすぐに元の汚い川に戻ってしまうことの繰り返しでした。上流は3面コンクリートで固められてしまって、ほとんど生きもののいない、ただ汚水が流れているだけの下水道になってしまいました。
シャベルカーによるドブさらいの代わりに侍従会のメンバーや大道小学校の子どもたちが川を浄化させる目的で葦を植えました。自然の川に近づけるために川に石を置き、流れに変化をつけました。外科手術をするのでなく、自然の治癒力で川をよみがえらせようとしたのです。しばらくすると、見違えるように水がきれいになりました。水草が生えてきて、めだかや、はぜが戻っ てきました。それを追ってカワセミ、サギ類が飛来するようになりました。最近は、カルガモが住みついて春になると親ガモに連れられた子ガモのほほえましい行列が見れるようになりました。
この会の特徴は、子どもが中心と言うことです。大人は、川の清掃や草刈をするなど、子供たちのサポート役です。川の汚染状況や生物の分布などを小中学生の ジュニア探検クラブの会員が定期的に行っています。調査という大義明文があるので子どもたちは、堂々と川の中に入って遊ぶことが出来るのです。網を持って魚を追いかけている子どもたちの目はキラキラ輝いています。今回も彼らからの報告がありましたが、ハキハキと発表する子、はにかんで後ろに隠れてしまう子など様々ですがこれも個 性があって面白いです。最後に、座談会形式で、今までの活動をふりかえりました。結局、出席者の全員が侍従会への熱い思いを語ることになり予定の時間を大幅に過ぎてしまいました。