▶侍従川の思い出(元・侍従会顧問 廣瀬一雄)

子どもの頃に侍従川で遊んだ思い出を綴ってみました。昭和の初めのころの侍従川の様子です。
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朝比奈峠を水源として、大道(だいどう)を縦断し、川(地名)、三艘(さんぞう)を通り平潟湾に注ぐ清流が侍従川 である。その昔、照手(てるて)という高貴な姫が盗賊に追われこの金沢の地で行方知れずになったとき、その乳母の侍従(じじゅう)という人が嘆きのあま り、この川に身を投じたという逸話から侍従川と付けられたという伝説がある。

侍従川は水が清く絶えたことがなく、お陰で大道は大変豊かな村であった。現在は大道中学校のバス停の近くにある、 岩に彫られた風化したお地蔵さんは鼻欠地蔵と言い、相州(今の鎌倉)と武州(今の金沢)の境に肥えた土地争いの仲裁役として建立されたが、争いがなかなか 絶えないのでお地蔵さんが見せしめに、自ら立派な鼻を欠いてしまったと言い伝えられている。

この川はうねうねと曲がりくねり、自然の水の流れそのままの姿をしており、両側は大名竹が生い茂り遠くからでも一 目で川であることがわかる。

川間のネコ柳が白銀色の芽を吹く頃になると侍従川にも春がくる。川の土手にはツクシ、タンポポ、スミレ、レンゲ、 ナズナなど色々な野草でおおわれる。川岸の竹薮ではウグイスが鳴き、セキレイ、カワセミ、カワラヒワ、アオジが飛び交い麦畑ではヒバリが鳴く。

六月になると田圃に水を入れるため大堰が作られる。この頃から川の水が減って子どもたちの川遊びの時期になる。大 堰の下の水たまりにはエビ、フナ、ハヤが沢山いて子どもたちはわれ先に網でとる。

川の下流ではかい堀りが始まる。これは水をせき止めて中の水をかい出して魚を捕る方法でウナギ、ドジョウがよくと れる。七月七夕がすぎ夏祭りが近づく頃、夜、川岸でホタル取りが始まる。夜露で足がびっしょりになる。

八月末頃、大池の水が抜かれる。池の中にはコイ、ウナギがいっぱいいて大人も子どもも夢中になって捕る。これは一 年に一度の楽しみな年中行事である。秋になって水が不要になると大堰が開けられ放水する。水の少なくなった川ではウナギ釣りが行われる。

十月頃、大潮になると諏訪の橋の上でハゼ釣りが行われる。10センチくらいのハゼがよく釣れる。このハゼは竹串に 刺して焼き、お正月の昆布巻用として保存する。チンチンカエズ(黒鯛の子)や白魚も海から上がってくる。秋も深まり稲刈りも終わる頃、雑木林に北風が吹き 抜ける頃、川岸には霜柱が立ち川面は薄氷におおわれて侍従川も冬支度に入る。

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