▶六浦の高台にある宮犬丸と久犬丸の墓

▶小山若犬丸の遺子、宮犬丸と久犬丸の墓(廣瀬 隆夫)

「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末決まる」
昔の子どもの養育法だそうです。

三歳までは、たっぷりと愛情を注ぐ。六歳までに、箸の使い方などを教える。九歳までには、「おはようございます」などの挨拶が出来るようにする。十二歳までに代書が出来るようにする。十五歳になったら自分で「モノの道理」が理解できるようにする。

このように子どもを大事に育てていた日本人ですが、今から650年前の金沢で、小さな子どもを生きたまま籠に入れて海に沈めて殺してしまうという悲しい事件が起きました。
https://itami-yellzaidan.com/content/2021/11/02/oyamawakainumaru/

1380(天授6)年、小山の乱が起こりました。下野国(しもつけのくに・栃木県)の守護であった小山義政が、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏満に起こした反乱です。

首謀者の小山義政は、1382(弘和2)年に足利氏満に討伐されましたが、小山の乱は息子の小山若犬丸(小山隆政)に引き継がれて17年にわたって戦いが繰り広げられました。1397(応永4)年、小山若犬丸は自害して小山氏は滅亡しました。

この時、若犬丸の息子の7歳の宮犬丸と5歳の久犬丸が坂東武者の芦名詮盛(あしなあきもり)によって捕えられて鎌倉に送られ、小山氏の嫡流を絶つために、武蔵国の六浦湊の沖に生きたまま籠に入れられて海に沈められたのです。

可愛いい盛りの子どもを殺すという事件は、この世の人たちに衝撃を与え、子どもたちを哀れんで、この悲話をもとに謡曲「小山安犬」が作られました。謡曲「小山安犬」は、小山市で今でも上演されて語り継がれています。
https://blog.canpan.info/nohbutai/archive/655

その宮犬丸と久犬丸お墓が昔の六浦湊が見渡せる、六浦の高台にひっそりと祀られています。大きな五輪塔が三つあります。その中の一つは乳母のものだと言われています。

このお墓を見ると、権力争いに巻き込まれた罪のない子どもたちのことが思い出されて、何ともやり場のない気持ちになります。


※お墓に行くまで、一部、個人の庭先を通りますので、お参りする方は静かにお通りください。

【参考】
https://ja.wikipedia.org/wiki/小山若犬丸
https://tochigi-burg.com/oyama-yoshimasa-ran.htm

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