■侍従会はトンボ池から始まった

侍従川は、かつては、大道耕地に広がる田んぼに水を供給したり生活用水にも使われるほどきれいな清流であった。上流には大堰と呼ばれた川を堰き止めた深い場所があり、そこで子どもたちは、自由に泳いだり魚をとったりして遊ぶことができた。

ふるさと侍従川に親しむ会(侍従会)は、昔のように子どもたちが自由に遊べる川に侍従川をとり戻すことを目的にしている。侍従会には、川や野山で遊んで、魚や虫をとることを通して、自然と親しみながら自然の奥義を学ぶ、そんなことが大好きな人たちが集まっている。

エコアップと言う運動が全国各地でに行われている。屋上に水槽を置いてしばらくすると、空中に浮遊する茎藻類の種が水に落ちて、そこに藻が生えてくる。それを食べに昆虫が飛んでくる。その虫を食べに鳥が来る。鳥の糞などで運ばれてカワニナのような貝が増える。それを餌に蛍が集まる、と言うように何も人が手をくださなくても水槽の中に小さな生態系が自然にできあがる。

侍従会の活動は、大道小学校のトンボ池のエコアップから始まった。小学校が出来る前は、このあたりは一面の田んぼだった。その田んぼを埋めて小学校を作った。昔は、運動会の時に雨が降ったりすると、子どもたちは、埋め立てられた田んぼに棲んでいたカエルの恨みだ、などとうわさしていた。

学校の後ろに山を抱えており、その麓にある小さな井戸がある所には、山から絞れる清水が湧いていた。そこに先生や生徒、住民が手弁当で協力して池を掘った。素人が集まって作ったのだからかなりの難事業であった。生徒の親御さんがユンボを貸してくれたりして小さな水たまりがみんなの力で自然の池になった。

何年かするとそこにトンボが来た。山からカエルも産卵のために降りてきた。メダカも増えた。自然とトンボ池と呼ばれるようになった。今では、子どもたちがザリガニ釣りをやったり、トンボをとったり出来るようになった。

このトンボ池で増えたメダカが大雨の時に流れ出したのか、昔から棲んでいたのか、侍従川でメダカが増えていることを子どもたちがみつけた。そこで、活動のフィールドがトンボ池から侍従川に広がった。池という点から侍従川という線になった。

1970年代の高度経済成長の頃、侍従川は本当に汚れてしまった。川岸を歩くと悪臭が漂っていた。自治体の河川管理が定期的に川にシャベルカーを入れて川底のヘドロをさらっていたが、しばらくするとすぐに元の汚い川に戻ってしまうということの繰り返しだった。上流は3面コンクリートで固められてしまって、ほとんど生きものが棲まない、かつての清流が、ただ汚水が流れているだけの下水道と化してしまった。

侍従会のメンバーや小学校の生徒たちが川を浄化させる目的で葦を植えた。自然の川に近づけるために川に石を置き、流れに変化をつけた。シャベルカーで自然を作り変えるのでなく、自然の力で川をよみがえらせようとしたのだ。しばらくすると、少しづつ水がきれいになってきた。水草が生えてきた。めだかや、はぜが戻ってきた。鮎もうなぎも来た。ホタルも復活した。何年ぶりかでハグロトンボも見つかった。カワセミ、サギ類が飛来するようになった。最近は、カルガモが住みついて春になると親ガモに連れられた子ガモのほほえましい行列が見れるようになった。

侍従会の活動は子どもたちが主役だ。大人は、川の清掃や草刈をするなど縁の下の力持ち、子どもたちのサポート役だ。川の汚染状況や生物の分布などを小中学生のジュニア探検クラブの会員が定期的に行っている。川の清掃や調査という大義名分があるので子どもたちは、堂々と川の中に入って遊ぶことができる。大人たちに見守られて、網を持って魚を追いかけている子どもたちの目はキラキラ輝いている。

昔のように子どもたちが自由に遊べる川になるまで侍従会の活動は続く。(2017年 6月6日 廣瀬隆夫)

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