・侍従会ニュース
▶侍従川で近年減少傾向にある生きものたち

侍従川で数が減っている生き物たちをまとめていただきました。侍従川にはたくさんの生き物たちの生の営みがあります。これからも、小さな命を守り育てていただきたいと思います。https://jijyukai.sakura.ne. […]

続きを読む
・侍従会ニュース
▶侍従会の原点「トンボ池ものがたり」

大道小学校の裏庭に、湧き水が出ていました。そこにオタマジャクシ のすめる池をつくりたいと、生徒たちが、水たまりのような小さな池を 掘りました。翌年、子どもたちは卒業していきました。その熱意と行 動力に打たれた理科 […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶六浦の高台にある宮犬丸と久犬丸の墓

▶小山若犬丸の遺子、宮犬丸と久犬丸の墓(廣瀬 隆夫) 「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末決まる」昔の子どもの養育法だそうです。 三歳までは、たっぷりと愛情を注ぐ。六歳までに、箸の使い方などを教 […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶侍従川に伝わる照手姫伝説と名前の由来

侍従川には、照手姫伝説が残っています。照手姫と小栗判官の恋のものがたりです。歌舞伎や浄瑠璃にもなっていますが、このものがたりの舞台の一つになった侍従川周辺では、あまり知られていません。そこで、照手姫伝説をご紹介します。こ […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶私が子どもだった頃(大道町内会 鈴木 巽)

お墓の掃除をするために、小高い山の上にある菩提寺の大道の宝樹院の裏山に登ることがあります。山の傾斜地にある墓地の最上段に立って前方を眺めると、夏島、野島山、六浦方面やお伊勢山から遠く釜利谷方面に続く山々がー望出来ます。更 […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶私が子どもだった頃(大道町内会 長島太郎)

私の家は、宝樹院という真言宗のお寺の石段を降りたところにあります。そんな関係で「てらのした」という屋号で呼ばれています。大道では昔から、「わきのやと」とか、「みょうど」などの屋号で呼び合っていました。昔は、近所付き合いも […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶私が子どもだった頃(川町内会 小泉元久)

私は、大正12年に侍従川の近くで生まれました。家は、侍従橋より50メートルほど川下の侍従川に面したところです。以前、白梅保育園をやっていましたので、そちらをご存知の方が多いかと思います。私が小学生の頃は、白梅公園を取り巻 […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶私が子どもだった頃(西大道町内会 藤田啓次)

私は昭和16年に横須賀の船越で生まれました。国が防空壕を掘るというので家が立ち退きに遭い、父親が海軍工廠に勤めていた関係で3歳の頃ここに引っ越してきました。車のない時代でしたから、船越から乳母車に乗ってきたと聞いています […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶私が子どもだった頃(金沢区寺前出身 関東雄)

私は、昭和22年寺前東町(寺前2丁目)で生まれ、子ども時代を過ごしました。私の小さい頃は、乙とも海岸と呼ばれた小柴から平潟湾口まで、松林がきれいな自然の海岸線が残っていて海水浴のメッカでした。現在金沢の花火大会は、毎年8 […]

続きを読む
・侍従川のお話
▶私が子どもだった頃(六浦3丁目在住 高桑正敏)

<侍従川への流れ> 私は団塊(だんかい) の世代のピーク、つまり1947年(昭和 22年)10月生である。いま住んでいる場所(六浦 3丁目)で産まれ、そこから居を移したのは新婚(しんこん) 時代の2〜3年間なので、生粋( […]

続きを読む